越後・高田、仲町に
お茶の香りが漂います。
かつては料亭、小料理屋が並ぶ
花街だったこの界隈。
多賀は数ある芸者置屋のひとつでした。
高田は1614年に
徳川家康の六男、松平忠輝が開いた城下町。
商人や職人たちは間口の狭い町家に住み
その入口に屋根つきの通路をしつらえました。
それは雁木と呼ばれ、今も
雨雪、日射しから往来の人々を守っています。
雁木通りには鍛冶屋、表具師、畳屋、石屋…
とんてんかんてんいろんな音が響きあい
いろんな匂いが漂うなかに
香ばしいお茶の香りがありました。
芸者置屋の多賀では
寝巻姿の姐さんたちが
遅い朝ごはんのあとに
お座敷前の風呂上りに
火鉢で沸かしたお湯で香ばしい焙じ茶を
飲んでいたとかいなかったとか…
多賀は、つぎはぎトタンの古町家。
雁木町家は隣の家との間が壁1枚。
隣の家が壊されると、その壁面が外壁に。
そのままでは残った家が風邪をひいてしまうので
そこらにあるトタン板をペタペタ貼って応急処置をする。
そしてずっと応急処置のまま
風雨にさらされて味わい深い風景になる。
そうやってできたのが、多賀のつぎはぎトタン壁です。